言葉がひとり歩きしている「叱らない子育て」「ほめる子育て」。育児の目標は同じ、自活できる大人に育てること

      2017/05/30


「叱らない子育て」、よく聞きます。でも、私は結局毎日叱ってしまいます、、、。特に朝バタバタしている時。朝ごはん食べながら、途中で席を立って遊びに行ってしまう娘。「ちょっと!!ちゃんと椅子に座って!」と言ったり、席についてまた弟と遊び始めてごはんを忘れ、「もう!何分かかってんの!!(すでに30分) 早く食べて!」と言ったり、幼稚園に行く前にまた遊び始めて「時間ないんだから早く準備して!」と言ったり。

そりゃ、もっと早く起こして、朝の準備時間に余裕をもたせればいい。とか、朝ごはんの量が多いんじゃないか?とか、ご飯の内容を変えてみたら?とか、色々な意見があるのは分かります。でも、ちょっと待ってください。そもそも「叱る」というのは、子育てにおいて本当にしてはいけないんでしょうか

自分の子育てを振り返るためにも、ちょっと考えてみたいテーマです。

 

「叱らない子育て」とは

そもそも、「叱らない子育て」てなんだー。っていう話ですが、尾木ママこと尾木直樹さんの子育て論の軸となる理論で、著書もあります。

 

ざっくりとポイントは

  • 叱るのではなく、「どうしたの?」と理由をきく
  • 理由に対して「共感」を示す
  • 「成長」「変容」を具体的にほめる

 

ということだそうです。もっと詳細な話もありますが、それは割愛。ここではあくまでザックリと。もっと詳細を知りたい人は本を読んでみてください。また、尾木さんの教育論をまとめたページを見つけたので、参考までに→尾木ママの教育論!今更ながら感心する、尾木ママの超骨太な持論をおさらい♡ 。

 

一方で、この「叱らない子育て」に反対の意見も出ています。

尾木直樹氏の「ほめる子育て」は危険か 「評価」が子どもに与える影響

  • 尾木直樹氏も推奨する「ほめる子育て」について識者が危険性を訴えている
  • ほめることは叱ることと同様に、子どもを他人が評価することになると指摘
  • 自己承認の心が育たず、他人の評価を気にする子どもになると述べている

live door news 2015年11月19日

 

「ほめる子育て」と「ほめない子育て」は本当は同じ考え方?

上記2つの考え方は、随分対立しているように見えますが、よく見ると、根底にあるものは同じに見えます。livedoor newsでインタビュー受けていた人。『「ほめない子育て」で子どもは伸びる』(小学館)岸英光氏。が語っている内容をも少し具体的に要約すると、

  • 「ほめる」と「叱る」は、「あなたの価値は他人が決めるんだよ」というメッセージ
  • 自分の価値は自分で見つけ育て、自分で自分を認められるようになるべき
  • ただ事実だけを見て、それを認めてあげる事が大切

 

とありました。

つまり、岸氏の最終的に大切だと言っているのは、「事実をみて、認めてあげる事」です。尾木ママは、「理由をきいて、それに共感すること(認める事)」です。つまり、2つともベースは「相手を認めてあげること」。このベースに至るまでのアプローチや手法が、それぞれ違うだけなのではないでしょうか。

この点を理解せずに、「ほめる」「ほめない」、「叱る」「叱らない」と議論するのは結論がでないばかりか、建設的議論にならないでしょう。

 

「言葉」が一人歩きしてませんか?

ではここで「ほめる子育て(叱らない子育て)」がどう世間で解釈されているか。についてみてみましょう。ちょっと私が気になるのは、言葉が、一人歩きしているように見える点です。

  • 「ほめる」=正しい
  • 「叱る」=悪い

そんな極端なイメージ付けから始まって、

  • ほめる=ほめなくていい場面でもほめる。何がなんでもほめる。→理由がなくてもほめる
  • 叱らない=どんな事しても叱らない。注意もしない。→ダメと言わない。

という、ちょっと本来とは異なる方向に言葉のイメージが進んでいると感じる事があります。

 

本来、「ほめる」というのは、しっかりした理由付けがあって、その理由を具体的に伝えて「ほめる」というのが正しいのではと思うのです。もう年中さんで服を普通に着られる子どもに、「パンツ一人ではけたの!?えらいね〜!!」というのはおかしいし、むしろバカにしているように聞こえます。

一方で、まだ2才の弟を5才の姉が突然突き飛ばす。危うく大怪我をするところだった。車にはねられるところだったかもしれない。でも、「ダメ」と言ってはいけない。本当に?

 

子育ての基本は、子どもが将来自分で生活できるようにする事

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最近、よくブログや記事で、「叱らない子育てをしています」というケースを見かけます。または、「ほめるようにしています」というケースもありました。そしてそれはどちらも、本来の意味から外れた内容でした。

  • スーパーで子どもが卵をもってウロウロしている。
  • 卵を床に出して遊びだしたので、注意した。
  • 母親がどこからか飛んできて、「うちは叱らない子育てをしてるんです!!」と怒って去っていった。
  • 残された卵は割れていた。

とか。理由付けも特になく、なんでもほめまくって自信をつけさせて、他の子どもを見下すような子どもにしてしまったり。とか。

 

今は、孤独なお母さんが多いと感じます。核家族で、両親は近くにいなくて、近くに友達もいない。そうすると、子どもといつもベッタリになりやすい。そして、この小さな命を守るのは私なんだという緊張感でもって、一番いい子育てをしたいと頑張る

まぁ、人としてちょっとどうか思う人も勿論いますが(これは秘密です)、大抵のお母さんは子どもの事をとても可愛がっていて、子どものために色々頑張ります。

ただし、その頑張り様が人によって、子育ての基本目的「子どもが将来自活できる力を身に付ける」(これは私の勝手な定義です)から、逸れてしまっている場合があるのではないでしょうか

 

社会的にしてはいけないこと、常識から外れること、将来必要とされるマナー。それらを身につけないで大きくなってしまったらどうでしょう。社会の中で生きるのに、かなり苦労する事になりそうです。

親に求められるものは、まだ判断基準が曖昧な子どもの、判断基準となって、方向性を伝えてあげること。そしてまだ小さな体であっても、一人の人間としての存在をしっかり認めること。それが、本人が納得して行動を変えたり、自己肯定感を育てるベースとなるであろうということ。

これが、「叱らない子育て」「ほめない子育て」両者の基本的考え方となるのではないでしょうか。

 

まとめ

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と、いうことは、叱る叱らない、ほめるほめない。というのは目的に対する異なる方法論であって、目指すべきところは同じなんじゃないの?てことは、重要なのは、ほめるほめない、叱る叱らない。じゃないんじゃないの?

よって、叱ってしまう私は母親失格とは言えない

 

という結論に至りました。

ただし「前提:相手の事実をしっかり見つめ、行動に共感、認めてあげること」。が追加されました。うーん、難しいです。共感、、、。朝ごはん、せめて30分で食べて欲しいんだけどなー。

 

 

 - ふと思うこと, 育児書